ハイサ~イ🌺
沖縄には、沖縄おばぁ~の最強攻撃「カメー・カメー」攻撃がある!
どうも、”はぴおきパパ”です。
沖縄のおばぁ~は、家に訪れた人に対して、「カメー・カメー」攻撃といわれている技を使ってきます😊
カメー・カメー攻撃??
県外の方には、余り馴染みのない言葉だと思いますが‥
沖縄県に住んでいる沖縄県民のみなさんは、今頃「あるある、それッ!それ~!!」となっていることでしょう(笑)
沖縄のおばぁ~ ”あるある” カメー・カメー攻撃とは、「ほら!食べて、食べて、どんどん食べて、おいしいからさァ~♪」って感じの意味になるさァ。
戦後の大変な時期を過ごしてきた沖縄のおばぁ~達にとっては、お腹いっぱい食べる事が1番の幸せだったそうで、自分の子どもや孫が自宅を訪れると、必ず「カメー・カメー」攻撃をしてきますよ✨
そういえば、”はぴおきパパ”の ”はぴおきおばぁ~” も、いつも「カメー・カメー」攻撃していたなぁ。。
当時は、面倒くさいなと思っていましたが、最近になってカメー・カメー攻撃の意味を分かってきたさァ。
カメー・カメー攻撃とは、戦後の貧しい時代を生きぬいた沖縄のおばぁ~達のやさしさと愛情が詰まったとても心温まるおもてなしの心だったんです😊
沖縄のおばぁ~の「カメー・カメー」攻撃 ⇨ 相手のことを常に思う、思いやりの心
沖縄がアメリカだった日とは
1972年5月15日の沖縄の本土復帰から、今年でちょうど50年の節目の年になります。
沖縄県は戦後27年間の長い間、アメリカの統治下に置かれていました。
あまり知られていない歴史ですが‥沖縄は27年の間、日本ではなくアメリカだったという歴史があるさァ。
沖縄が1972年に本土復帰する年までは、沖縄から日本へ行くために、なんと!パスポートが必要だったんですよ😲
車の通行はアメリカ本国と同じ右側通行、円での買い物ではなく、物の購入はドルだったんです。
まさに!アメリカですよね。
沖縄のおばぁ~のたくましさの理由
戦後直後は、戦争で多くの男性が亡くなり、戦争からの復興は女性を中心に始まりました。
戦後、沖縄県内でいち早く市民に開放され、復興の始まりのひとつになったのが、県民の台所と呼ばれる農連市場でした。
市場には、今でも沖縄の野菜として馴染みのあるゴーヤーや島にんじんなど、沖縄に関する野菜が多く販売されていました。
※ 語尾を伸ばすゴーヤーという言い方は、沖縄独特の表現
また、”Cレーション” と呼ばれるアメリカ軍の携帯食や衣類など、米軍基地から流れてきた商品も数多く並んでいたそうです。
県民の台所である農連市場では、女性たちが多く働いていました。
戦争から復興へ向けて、力強く生きて行かなければいけない同じ境遇だった女性達は、みんなで助け合いながら朝早くから夜遅くまで働いていました。
当時の女性達は、朝早くに畑に行って野菜を収穫し、収穫した野菜を市場に持っていて夜遅くまで売っていたそうです。
クタクタで自宅に帰えると家事などが待っており、疲れた体で必死に家事などをしながら、地域の子ども達も一緒に面倒を見ていたそうです。
沖縄のおばぁ~達のたくましさは、こうのような厳しい時代を経験してきたからこそ、備わった強さなんでしょうね。
本当に心から沖縄のおばぁ~達をリスペクトさァ✨
沖縄の格言「命どぅ宝」の誕生
日本国内で唯一の地上戦があった沖縄戦では、約20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としたと言われています。
戦後間もない沖縄県では生き残った県民は、戦争をくぐり抜けて生きてきた人たちという仲間の思いがあり、お互いに助け合いながら生きて行こうという気持ちが非常に強かったそうです。
沖縄戦で生き抜いた人たちは、ツライ沖縄戦の遺族という共通認識だったんでしょうね。。
こうした逆境の中で強く生きる人々から生まれた沖縄の言葉「命どぅ宝」。(ぬちどぅたから)
「命よりも大切なものはない」という意味さァ。
沖縄の戦後は、県民ひとりひとりがこの言葉を胸に刻みながら、力強く復興へ向けて進んでいったそうですよ。
戦争を経験した人々だからこそ生まれた言葉なんだなと思います。
はぴおきパパ✨one Pointアドバイス✨
しかし、いまだに沖縄県内には米軍基地の負担率が約70%もあり、アメリカ色が今も色濃く残っているさァ~。
沖縄の歴史を1人でも多くの人に知ってもらいたいと思っています。
まとめ
今年で沖縄が本土に復帰して50年!
現在の沖縄県は、観光地としてのイメージが強いですが、50年前の沖縄は戦争の傷跡が大きく残る時代でした。
戦争からの復興に向けて、すべてを一から作り上げる大変な時代だったでしょう。
”はぴおきパパ”も普段、何気なく日々の生活をしていますが、いつもの生活が当たり前だと思ってはいけないなと感じました。
多くの人たちが一生懸命作り上げた時代の上に、現在の生活が成り立っているということを改めて実感したさァ。
次の世代を担う人々が沖縄の歴史に少しでも興味を持ち、過去の歴史から様々なことを学ぶ必要があるかもしれません。
しっかりと歴史を学ぶことが、今後の未来を切り開く大きなキッカケになるかもしれませんね。
今年の5月15日は、「沖縄の復帰とは?」そして、「日本にとって沖縄の復帰とは何だったのか」、”はぴおきパパ”と一緒に考えていきましょう。
今日はマジメすぎる話題だったかなぁ‥でも、「たまには必要だよね、きっと」
それでは、また。
し~ゆ~(See You)
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